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焼火山など、事前にそういう状態になることを想定して、覚悟や準備をしている場所はそれでもいいです。ですが、ここに関してはそんな心積もりは全くなく、予測外の状況から軽いパニックになってしまいました。とにかく、もうどうしようもなく怖くて。 ですが同時に、ここまで来たのだから逃げたくない、という思いも強かったんですね。負けたくなかったんです。 葛藤しながらの歩みは遅く、ようやく足を踏み入れた展望台でものそのそ、のそのそとしか進めません。そしてその一番奥までゆくと、もう柵すらもない、まさしく足を踏み外したらそれまで、という絶壁。 自分のいる場所は名所・隠岐知夫赤壁と向き合うようになっている絶壁で、そこから恐々と向かいの岩肌を見てその赤金色を確認し、さらに1歩踏み込んで今度は下を見て。 何度も書いてきていますが、高所恐怖症ではありません。ですが、わたしは空間恐怖症です。ただですら、喘息発作の恐怖を抱えながら、もっとも苦手としている広い場所にたった1人で立ち、そのうえ強風と雨までが吹きつけて来て...。 写真がちゃんと撮れたこと、自分自身でよく頑張ったな、と今でも感じていますが。でも、やはり長くはいられませんでした。もう即詠するどころではなく、慌てて車に引き返しまして。そしてようやっと、ひと心地つきました。 生きゐれば拒まれもせり春嵐 遼川るか (於:隠岐知夫赤壁駐車スペース) いつもならば、怖くともそれに歯を食いしばって負けずにゆく自分に、ある種の安堵を感じられるはずですし実際、そういう何処かが壊れているというか、破滅思考を抱え込んでいる人間であることに、間違いないんですけれども。どうやら、今回はそうとも言っていられないようで。 ...でもまだ、ここで終わりではないんですね。本当の最終訪問地は、この赤ハゲ山の山頂。そこからだと周囲を360度ぐるり見渡せる、とのことです。やはりこちらも完全なる観光目的ですけれども。 もしかしたら本土も島後も、そして西ノ島や中ノ島も。すべてが見えるんじゃないか、と思っていたんですね。島前に移動してからは、島後ほど強くは感じませんでしたが、それでもやはりここは境界の群島。そしてその群島同士の間にも、それぞれの違いはあって、境界は境界として、されど殊更強くそれを境界として見つめなくてもよい。...そう思い至れたのは事実ですが、だからこそ全てを一度、ぐるりと見渡したかったのかも知れません。 もっとも、この天候では本土どころか島後すらも見えるのは難しいでしょうね。あるいは、見えないままをきちんと見よ。...そういう思し召しなのか、巡り合わせなのか。 再び、ゆるゆると放牧地を進みます。ずっと山肌を大回りするようにして進んでいるわけで、その時々に見渡せる海が、島前3島が向き合っている内海なのか、それとも本土側の外海なのか、すっかり判らなくなっていました。雨に濡れた服が乾き始め、それが少し痒く感じています。 きっと登りにもルートが幾つかあって、下りも然りなのでしょう。道と道が交差する場所では立て札にしたがって進むも、稀にその立て札があらぬ方向を指してしまっていたり、何かの事故で折れてしまっていたり、見えなくなっていたり、と恐怖の種は次々にやってきます。視界もあまりよくなく、片側は常になだらかな斜面にて、脱輪などもちろんできず。緊張し続けることを強いられたまま、進むこと15〜16分、でしょうか。あるいはもっと短かったのか、長かったのか、もう訳が判りませんが、何とか展望台の建物まで辿り着きました。ここが、赤ハゲ山の頂上です。 車から降りると想像通り、突風の真っ只中でした。360度全方位の展望台ということは、風を遮るものなど存在していませんから。ですが、この展望台には赤壁と違って柵と手摺があります。 「...よし、これならきっと大丈夫」 そう呟いて展望台をぐるり1周、柵に沿って歩き始めます。 不思議なものです。横木がほんの数本渡されているだけの柵です。それにここまで頼ってしまう自分があまりにも不思議でした。いざものすごい突風が吹いたら、柵なんてあまり意味を成さないでしょうに、それでもそこに手を添えさえしていれば、何とか進めてしまう自分。 結局、わたしの空間恐怖は寄る辺なさからきているのでしょうね。空間そのものが怖いのではなくて、寄る辺ないことが怖いのでしょう。...随分と、依存家なものです。 やがて展望台を1周できそうになった時、初日から撮り溜め、データを吸い出していないSDカードがついにメモリ容量いっぱいになってしまいました。仕方なく、ここから先は携帯電話のデジカメで、とリュックから取り出したところ、こちらはこちらでバッテリーがあがりかけていて。非常用の乾電池式バッテリーへ入れようと、持っていた乾電池の包みを破いた時です。あれこれ持っていた手から乾電池の包みのセロファンが零れ、吹き寄せた突風に一瞬で視界から消えました。 ...息が徐々に浅く、そして荒くなってきます。国定公園内に落としてしまったゴミを拾いに行きたいのに。そうしたいはずなのに、もう動けませんでした。 「...もう、無理」 いま思い返すと、あの瞬間の自分が何をそこまで恐れたのかよく判りません。とにかく怖かったのです。もうどうしようもなく怖くて、しゃがみこみそうになる自分を騙し騙して車へ戻りました。その後も、もうどう運転して来居の港まで戻ったのかよく覚えていません。車を返し、何とか落ち着こう。大丈夫、大丈夫、と唱えながら携帯電話を見ると圏外。 これまでの古歌紀行で、怖くて逃げたくなったことは実は何度もあります。でも、最終的にそれを踏み止まらせたのは携帯電話か、暖かい場所か、一口頬張る食べ物でした。逆に逃げたくなる時の条件も大体いつも同じ。雨、寒さ、携帯圏外です。 中でも雨と寒さが合わせ業になってしまうと、まあ、あまりいいことはないです。過去、これで実際に旅を切り上げてしまったのが2度目の大和国訪問時。「あきづしまやまとゆ・弐」の最終日のことでした。 今回も同様で、加えて携帯圏外もセットになってしまいました。携帯でネット接続しては何らかの戯言をどこかに書ければ、少しは落ち着けたのでしょうけれどね。...やはりわたしの恐怖の根底は寄る辺なさなのだな、とこれを書いている今は冷静に思います。 雨はそこそこ凌げましたが、キャンディ1つも買う場所はなく、あるのはフェリーの切符売り場のみ。予定では、もう1本後の便で一旦、西ノ島へ戻り、少し買い物をしてから本土行きのフェリーに乗るつもりでした。...が、もうそんな気持ちも残ってなどなく、1番早くこの来居港を出るフェリーを調べたら、何とも皮肉なことに知夫里島→西ノ島→中ノ島→島後→本土、という今日までの旅の順路を丸ごと巻き戻すかのような便。しかし、それでも本土に戻れるのはこれが1番早いのです。 迷うことなく切符を買い、フェリーが来るのをひたすら待つわたしの耳に、地元の人々の朗らかな声が響いていました。...そういえば島後を発つ時にも、同じような会話を耳にしています。それくらい隠岐の人々が、港で誰かと会えば交わす、挨拶のようなものなのでしょう。 「どこゆくん」 「西郷にな」 「日帰り、泊まり」 「ああ、向こうで1泊すんよ」 「あたしは七類にな」 「本土までか」 つまり、彼らにとって、今日のこの瞬間はまぎれもない日常。一方のわたしは今まさに逃げ出そうとしている、スクランブル真っ最中にしてエマージェンシー。 ...届かない。届かない、届かない、 「届かないよ...」 実際の距離よりも遥か遠くに、地元の人々の声を聞きながら、呟きがぼそりと洩れていました。 携帯電話の先には実体の人間なんていません。そして逃げ出そうとしているわたしのすぐ傍には、ちゃんと体温を伴った人間が複数います。なのにそれが、歯止めとはなってくれない。むしろ、地元の人々の声を聞こえるほどに、 {すぐにでも帰りたい、今すぐに...」 としか思えなくなるわたしがいました。頭の中を次々と流れてゆくのは「万葉集」の羇旅歌たち。 |旅にありてものをぞ思ふ白波の辺にも沖にも寄るとはなしに 作者未詳「万葉集 巻12 3158」 |能登の海に釣する海人の漁り火の光りにいませ月待ちがてり 作者未詳「万葉集 巻12 3169」 |家にてもたゆたふ命波の上に思ひし居れば奥か知らずも 作者未詳「万葉集 巻17 3896」 |淡路島門渡る船の楫間にも我れは忘れず家をしぞ思ふ 作者未詳「万葉集 巻17 3894」 |たまはやす武庫の渡りに天伝ふ日の暮れ行けば家をしぞ思ふ 作者未詳「万葉集 巻17 3895」 ようやくやって来たフェリーに乗り、その暖かさにほっとしました。そういえば朝から何も食べていなかったことを思い出し、売店でパンを買って食べて。レンタル毛布に包まるころには、ようやくあのどうしようもなかった恐怖と、無力感がゆるゆると自分から抜けてゆくのをぼんやりと感じました。 「...負けちゃった」 最初に洩れたひと言です。1つの時代が終わったのだ、と実感しその翌日は道触りの島に上陸しました。もちろん、そこでも様々なことを感じましたが最終的に、わたしは何かに負けました。 勝つことが必ずしもいいことだ、とは思っていません。勝敗だってまた二元論です。でも、この拭いようもない敗北感は、わたしが迎えた、わたし自身の新しい時代の過酷さを表しているように思えてなりません。 「万葉の羇旅歌の詠み手たちと近くいたい。だから旅という恐怖をわたしは大切にする」 そう何度書いてきているでしょうか。ですが、これまでわたしが味わってきた旅の恐怖は本当に恐怖だったのでしょうか。逃げださずにはいられないほどの恐怖に直面して、いま思います。 「あれらは本当に恐怖だったか。それともそういう雰囲気を味わっていただけだったのか」 と。 フェリーが止まる度、目を覚ましました。西郷港では当然ですけれど、下船しないわたしに船員さんが 「降りないのですか」 と訊いてきました。島前から来て、島後を経由して本土へ向かう人なんて確かに滅多にはいないでしょうね。そしてまたフェリーは動き出し一路、本土へと向かいます。 知夫里島では結局、あれこれの雑詠まで含めても現地で詠めたのはたったの3首。こんな体たらくもまた、初めてです。ですが、そもそも歌はそこそこゆとりがあってこそ詠めるもの、という内容を「なまよみのかいひゆ」でわたし自身が書いています。本当に必死な時に歌は詠めません。そして、それは万葉の羇旅歌も同じはずで、彼らは恐怖と隣り合わせだったのでしょうけれど、少なくとも残っている歌に限定するならばそれなりのゆとりがあってこそ詠めたものなのでしょう。...もちろん、詠めないほどの恐怖も、あの時代に山ほどあったのでしょうけれども。 「...ならば。ならば今、こうしてゆとりを取り戻せた今。詠まないでどうする、わたしは」 船窓から見えていたはずの西郷港はもう影も形もありません。 「このまま隠岐という土地への感謝も詠まずして帰ってたまるか」 ようやくそう思えて、少し泣きました。 天あれば地あり 天のあるゆゑに地もあるらむ 陸には陸たるよし 綿津見に綿津見たればあるよしを 知らで知らまくほしと沁む 知らまくほしく思ふゆゑに ゆかむゆかまくほしきとふ 思ひて思ひ思ふ 空蝉のひとなればこそ綿津見は 深かれ 遠かれ 叶はざれ 神は天にそ坐せども 綿津見にまた山に地、 おほきちさきも たかきとて ひくきにもなほ 坐されば 八百万神 斎き神 神なきものは世にもなし 神なきものは 人にして なれど人ゆゑ人は生む 神語りまた 神謡ひ 神舞ふかたち 神や神 号ぐるものは神の名と 与ふるものは神の宮 人つくれるは神なれど 神つくれるは人が業 国つくれるは神なれど 国つくれるは人にして 人のつくれる神の業 逐ひ逐はれ ゆきゆきて 綿津見わたり常世なる 国のいづへに 横たはる みなひと知らに知りたきや 知らまくほしや 知るまくほさじ こもりてはいつにかへるをうけひしものよ こもれるはとほき綿津見しがそこひなり わたのそこ隠岐ゆくもののかなしび知るや わたのそこ隠岐ゆゆくひとしがかなしびも 遼川るか (於:七類港へ向かうフェリー船内) |
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