あきづしまやまとゆ・弐

 それは、繰り返し繰り返し現れては消えた光景。消えると同時に、表層的な記憶から逃れて、まるで波の底に沈むかのようにして漂い、そしてまた浮んでは現れ、また沈み、また浮ぶ。
 浮かび上がるための条件は、いつも同じ。最初は3歳くらいだっただろうか。発熱し、苦しみながら寝ている時。母が手を握ってくれていて、時折何か話し掛けられていた。
「苦しいね。でも、大丈夫だよ。朝にはきっと起きられるよ」
 ひんやりした手が額に添えられ、その心地よさから瞬間的に際立つ感覚が、見せてくれた光景。拡散する知覚、浮遊感覚ともいうような不思議な視点。小高い場所から見下ろす世界。
 けれども、熱が下がり朝になると、もう忘れてしまっている。思い出すことさえなく、再び発熱すると見え、忘れ、また発熱し、見て、忘れる。
 ...そんな光景がわたしには1つだけありました。

 幼少期を過ぎると、そうそう頻繁には発熱もしなくなり、「そこ」のことは振り返る限り凡そ思い出しもしていませんでした。やがて20歳を過ぎ、持病の喘息を発症して以来、呼吸器が弱くなった所為か、再びちょっとしたことで発熱するようになり...。
 風邪を引けばそれはことごとく喉風邪になって、喉風邪なのだから当然のように39℃を簡単に越します。そしてしばらくぶりに見た「そこ」は以来、以前のように完全に表層的な記憶から消えるということはなく、確実に常に意識の隅っこに引っ掛かっていては、具合が悪くなるたびに繰り返し繰り返し現れて、ゆっくりゆっくり意識に刷り込まれてきていたのかも知れません。

 小高い地点から見下ろす視界には、ぽつん、ぽつんと幾つかの山。その向こうには連なる山並み。山々の濃い緑ではない部分は、田畑の瑞々しい緑が埋め尽くしていて。振り返ると自身の背に負うように、別の山並みがごくごく近くに聳えている...。
 何処なのかは、判りませんでした。ですが、行ったこのないの「そこ」は、確かにある種の懐かしさを喚起してくれる場所でもありました。

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 昨夏、亡母との約束を果たすために訪ねた万葉の舞台・奈良。帰路に就く時からすでに再訪を心に誓っていたのは言うまでもありません。そして、早くも秋。10月くらいから、次なる万葉巡りのコースについて、あれやこれや考え始めていましたし、計画も練っていました。
 ...が、11月。様々なことから少し身体に負担が掛かっていたのか突然、久しぶりに重度貧血になりました。自室にいたのですが、まるでカメラのシャッターがゆっくり閉じるかのように視界が狭窄していき、さらには急性中耳炎で耳も聞こえなくなって。
 見えない、聞こえない、という闇の中、何とか急患として病院へ行った処、血圧とヘモグロビン値の低さに医師はあきれ返り、旅に行きたい旨を申し出るとにべもなく却下。結局、その後は春になるまで服薬のお世話になりつつ、騙し騙し養生しつつ、ただただ温かな春が来ることだけを待ち望んでいました。

 今年4月。何とか採血の数値も元通りになり、すでに気候も心地よくなっていたことから、再びわたしは奈良の地に出向きました。目的はもちろん、万葉巡りです。
 前回同様、ただ自分が好きな歌、好きな歌人、好きなエピソードに纏わる場所を。大いなる謎としての万葉に対する自分なりの探究心、それを満たしてくれそうな場所を。さらには、前回の万葉巡りで自らの中に芽生えた新たな疑問や、興味の趣くままに。あっちふらふら、こっちふらふら。

 期間は昨夏と同じく4泊5日。但し、奈良県内に於ける総移動距離は前回の比ではなく、奈良盆地を縦横に駆け抜けた行程を、再び紀行文と拙歌、万葉歌の引用と簡単な解説などを併せて著してみましたので、宜しくご高覧戴けたら幸いです。
 また、本作は前作「あきづしまやまゆ」の続編なので、前作にて解説・記述さて戴いた内容は基本的に省略していることを、先にお断りさせて戴きたく思います。








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