海とほく海より海に近き湖
 容赦なき風の慟哭 崩落の痕

 崩ゆることありえぬ巌 ひとを象り
 顧みしその咎ゆゑの塩は濁りて

 天の火が焼き尽くしゝ地 大河、濁流
 境界の此方と彼方 いづれかひとつ

 曖昧はあるいは迷ひ 世界の掟
 こゝはこゝ、あそこはあそこ 透明な壁

 逃ぐるでも逃げぬでもなく羊 城壁
 守りたき1、そのための99 否

 知らぬ間に否目となりし日々は過ぎ去り
 また怯え初めゐる肩に潮の花、咲く

 大陸の潮よ、定めは哀しくないか
 打ち寄せて柱となりて、砂と散るとふ

 散り/\て新たな罪を産みし洞窟
 何よりも最初にありぬ 生まれ来し意味

 昼は夜ゆ、夜は昼ゆ来ぬ 約束の地に
 戒めは戒めとして、ヒトの限界

 なぜ神をヒトは描くか 遅れ来し者
 海亀の梦でゐし頃 進化なほ逸る

 大海も所詮、湖 方舟のうち
 世の光、地の塩 とほし、言葉がとほし

 葉脈を辿る ルーツを探るかのごと
 便宜的概念、それは緩衝材とも

 衝突は交はり こゝに手にとるページ
 新生は蘇生でもなく再生でもなく

 源ゆまた下る河 中州にて生く
 水ですら見られぬ高み 雲は流れて

 もし明日、世界が流転するとしたなら
 とほく近きあが足元の土、踏み締めむ      
                      遼川るか「片歌連歌・大陸の潮」


 まだ甲斐を訪ねる前に詠んだ拙歌が、ふいに思い出されていました。自らのうちから生まれ、自らが産んだものなのに、それの中に宿っているまた別の意味と、その新たな発見に、今さらながら驚いていたんですね。



 頭上を旅客機が過ぎてゆきます。発つものもあるでしょう。着くものもあるでしょう。そんな現代の茅渟の海から振り返ると、見えたのはわたしを待ってくれているタクシーと運転手さんでした。そのさらに向こうには、聳え連なる葛城の山並みです。
 清潔でゴミはおろか、貝殻さえあまり見当たらない砂浜を過ぎって、またタクシーに乗り込みます。
「大阪市内へ戻るのに、都合がいい近くの駅って何処になりますか?」
「うぅん...、乗換えるのは面倒やろうし、急いではるのなら、やっぱり関空快速に乗るのが1番確実やと思うなぁ。そしたらまた日根野へ戻らはるのがええんやないかなぁ」
「ならば、そうしてください」

 スカイゲートブリッジ。この名前は神奈川帰還後に知りました。茅渟の海を横切る関空への大きな架け橋と、そのたもと周辺の新興の街をタクシーはどんどん走り抜けてゆきます。あれほど焦がれた茅渟の海が、次第にわたしから離れてゆきます。...いや、違いますね。離れてゆくのは、わたしの方です。
 留まることなど誰にも、何にもできません。できようもありません。ならば、自らの意思で往くしかない...。


 わたしが知る範囲で、上代文学に用例がある難波を伴う枕詞は「押し照るや」と「葦が散る」の2つです。遣い方の違いとしては、「押し照るや」は難波の後に、難波に存在する地名も連ねることが多く、逆に「葦が散る」にはそういった慣例はなかった、と思います。
 少し迷いました。「押し照るや」が難波の海の夕景を象徴としている一方で、「葦が散る」はかつて葦が繁る湿地帯だった難波の光景を象徴としています。その葦の花が散りゆく様です。
 なので、この現代の茅渟の海に、より心を添えるのならば「おしてるやなにはゆ」となるでしょうし、わたしが心焦がれた幻想空間としての歌枕・茅渟廻に心を添わせるのならば「あしがちるなにはゆ」とするべきなのだと思います。
 古歌紀行では恒例の、最後の長歌をタクシーの中でぼんやりメモに書き取りながら、それでもこう綴ったわたしがいました。
「あしがちるなにはゆ」
 と。きちんと線を引くために。

 また1機、タクシーの真上を旅客機が過ぎってゆきます。

 真楫榜ぎ ゆきていかへり
 廻ほりて 揺蕩ひゐしは
 葦が散る 難波、茅渟廻や
 名告藻 名をしな絶えそ
 頻波を ゆきて渡らば
 和魂 幸魂なる
 奇魂 坐す常世は
 いまなほし ありゐるものや
 千早振る 神、高御産巣日神ゆ
 生れて生れたり
 空蝉の 人、神倭伊波礼毘古ゆ
 成りて成りたり
 あきづしま やまと、葛城山ゆまた
 三輪山、崇め
 地にこそ あらめと願ひ
 祈ひ祷みし ゆゑあらたしき
 血も受けつ 受くれば移り
 移ろひて え移らざるもの
 うつ栲に あらざり 時は
 稲筵 川のごとまた
 綱手引く 海のごとくに
 止まらざる ものなりてつね
 ひとつとて ひとつにあらじ
 昨夜来旦に日を
 をち返し なほし重ぬる
 しが果ては みな違はざる
 八重波ゆ 弥遠長き
 国に寝ぬ 残さゆるもの
 またもなし ゆゑに謡はむ
 たゞ謡ふ のみにしあるを
 欲ればこそ ゆかめ ゆかまくほしければ
 謡はまくほし
 面、背面 かへしかへせば
 背面さへ 面にならゆる
 背面、面 かへしかへさば
 面なれど 背面にならゆ
 とこしへに 移ろふ波の
 さ丹つらふ 色に違はず
 時のまに/\

 あれはあれであれどもあれはあれにあらざる
 ものなればあれゆく地にあれはあるらむ

 移ろへど違はずあるはあれの源
 いにしへゆあもゆ継ぎたる歌はとこしへ          遼川るか
 (於:JR阪和線・日根野駅へ向かうタクシー車内)



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 本稿を書くにあたり、参考にさせて戴いた文献を以下に記します。

・万葉集関連
 「万葉集検索データベース・ソフト」 (山口大学)
 「萬葉集」(1)〜(4) 高木市之助ほか 校注 (岩波日本古典文学大系)
 「新編国歌大観準拠 万葉集」上・下 伊藤博 校注 (角川文庫)
 「新訓 万葉集」上・下 佐々木信綱 編 (岩波書店)
 「万葉集」上・中・下 桜井満 訳注 (旺文社文庫)
 「万葉集ハンドブック」 多田一臣 編 (三省堂)
 「万葉ことば辞典」 青木生子 橋本達雄 監修 (大和書房)
 「万葉集地名歌総覧」 樋口和也 (近代文芸社)
 「万葉集辞典」 中西進 著 (講談社)
 「初期万葉歌の史的背景」 菅野雅雄 著 (和泉書院)
 「古代和歌と祝祭」 森朝男 著 (有精堂出版)
 「万葉集の民俗学」 桜井満 監修 (桜楓社)

・古事記
 「古事記/上代歌謡」 (小学館日本古典文学全集)
 「新訂 古事記」 武田祐吉 訳注 (角川文庫)

・日本書紀
 「日本書紀」上・下 坂本太郎ほか 校注(岩波日本古典文学大系)
 「日本書紀」上・下 宇治谷孟 校註 (講談社学術文庫)

・続日本紀
 「続日本紀 蓬左文庫本」(1)〜(5) (八木書店)
 「続日本紀」青木和夫ほか 校注 (岩波新日本古典文学体系)
 「続日本紀」上・中・下 宇治谷孟 校註 (講談社学術文庫)

・古代歌謡
 「記紀歌謡集」 武田祐吉 校註 (岩波文庫)
 「古代歌謡」 土橋寛・小西甚一 校注(岩波日本文学大系)
 「上代歌謡」 高木市之助 校註 (朝日新聞日本古典選)
 「日本の歌謡」 真鍋昌弘・宮岡薫・永池健二・小野恭靖 編(双文社出版)

・上代語
 「古代の声 うた・踊り・ことば・神話」 西郷信綱(朝日選書)

・和歌全般
 「新編国歌大観 CD-ROM」 監修 新編国歌大観編集委員会(角川学芸出版)

・21代集
 「二十一代集〔正保版本〕CD-ROM」 (岩波書店 国文学研究資料館データベース)

・古今和歌集
 「古今和歌集」 小沢正夫 校注・訳 (小学館日本古典文学全集)
 「古今和歌集」 小島憲之ほか 校注 (岩波新日本古典文学大系)

・新古今和歌集
 「新古今和歌集」 小島吉雄 校註 (日本古典全書 朝日新聞社)
 「新古今和歌集」 久松潜一ほか 校注 (岩波日本古典文学大系)

・夫木和歌抄
 「夫木和歌抄」 宮内庁書陵部(図書寮叢刊)

・歌枕名寄
 「歌枕名寄」 吉田幸一・神作光一・橘りつ 校註(古典文庫)

・貫之集 
 「貫之集」 田中喜美晴・田中恭子 校註(風間書房)

・謡曲 蟻通
 「謡曲集」 小山弘志ほか 校注 (小学館日本古典文学全集)
 「謡曲大観」(1)〜(7) 佐成謙太郎 (明治書院)
 「能の事典」 戸井田道三 監修 (三省堂)

・枕草子
 「枕草子」 松尾聰 校註 (小学館日本古典文学全集)

・人形浄瑠璃 蘆屋道満大内鏡
 「日本名著全集 江戸文芸之部第六巻 浄瑠璃名作集」上・下
 「竹田出雲・並木宗輔 浄瑠璃集」 角田一郎・内山美樹子 校注(岩波書店)

 ※ 引用させて戴いた各文献の欠落部は、本作に限って敢えて欠落を埋めた状態を引
  かせて戴きました。

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 2005,04,07    茅渟廻訪問
 2005,07,12〜13  執筆
 2005,07,14     いまのは倶楽部 実験会議室上にて掲載

 ※ 拙作「あしがちるなにはゆ〜茅渟廻」に添えて掲載している写真の一部は、「南河
   内風景写真集 - Mavicism」さま、「デジタル楽しみ村」さま、「色彩創観事」さま、
   「自然いっぱいの素材集」さま、よりお借りしています。

                                 遼川るか 拝







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